惨事ストレスについての記事が掲載されていました。 こういう惨事ストレスに対してのサポートチームは、これからもっと必要に成って来るでしょう・・・。トリアージの問題もそうだと思います。 この記事、じっくり読んで欲しいですね。 私の友人も一緒に飲むとやるせない思いを語る時が有るので・・・
最高裁が4月19日、犯人の男に死刑を宣告した東京・池袋の通り魔事件。1999年9月、買い物客ら8人が死傷した繁華街に駆けつけた消防隊員の1人は、判決を札幌市で知った。
目に浮かぶ被害者の顔…
救助に携わる者が心に受けるダメージは惨事ストレスと呼ばれ、この消防隊員もそうだった。凄惨(せいさん)な現場の残像に悩み、事件の3年後、15年間勤めた東京消防庁を辞めて帰郷。「隠れた被害者」は、自身の体験を生かしたNPO(非営利組織)を作り、心に区切りをつけようとしている。
札幌市豊平区に住む高橋潤さん(45)は事件当時、豊島消防署に勤務し、火災や事故の現場で情報収集などを行う指揮隊に所属していた。
「そろそろ昼食でも」と考えていると、「けんかによる傷害が発生」と出動指令があった。現場はすぐ近く。血まみれになった住吉和子さん(当時66歳)と、ぼう然と座り込む夫の姿が目に入った。「ほかにも刺された人がいるようだ」と、通行人が叫ぶ。道路を隔てたパチンコ店には、逃げ込んだ高橋真弥(まみ)さん(当時29歳)が倒れていた。まだ息はあった。「助かるかもしれない」。救急隊の増援を要請し、「早く来てくれ」と祈ったが、間に合わなかった。
通り魔による犯行は、潤さんの心に影を落とした。「偶然居合わせただけの人が、なぜ殺されなくてはならなかったのか」。男の公判も傍聴したが、「なぜ」という疑問は膨らむばかりだった。事件後も、現場の血痕や亡くなった住吉さんや真弥さんの顔が目に浮かんだ。不眠になり、精神的に不安定な状態が続いた。体調を崩し、激務に耐えられなくなった。2002年に退職した。
札幌市の実家で、新たな生活を始めたが、年齢的に再就職もままならず、思い悩む日々が続いた。
転機は04年。NPOによる地域活性化フォーラムに何気なく参加してみた。NPOの活動ぶりに、興味がわいた。
「自分も働きながら人の役に立てないだろうか」。NPO情報誌のスタッフを務め、清掃活動などのボランティアにも積極的に参加した。体は少しずつ復調していった。
精神障害者の生活支援などを行う団体「サポートシステム研究会」を旗揚げし、代表に就任。「自分の経験でも心に傷を負った人が利用できる公的な支援制度は、わかりにくかった。そんな人の力になりたい」と思ったからだ。5月にはNPO法人格の認証を申請し、本格的な活動を進める。
そんなときに聞いたのが、男の死刑が確定するという判決だった。「事件のことは一生忘れられない。あの事件が起きなければ、恐らく消防を辞めることはなかったでしょうね」
亡くなった真弥さんの父、宮園誠也さん(72)は「消防隊員にも影響を与えていたとは、驚いている。高橋潤さんも被害者だ」と話す。
小西聖子(たかこ)・武蔵野大学教授(臨床心理学)は、「惨事ストレスは、放っておくと、自分個人の問題と感じて、最終的に仕事を辞めてしまうこともある。仕事と切り離せない職場の問題としてとらえ、グループや個人での面接といったケアなど十分な対策が必要だ」と指摘している。
<メモ>惨事ストレス 災害救助などに携わった消防、警察、自衛隊、医療関係者らが受ける心理的なダメージ。不眠や感情のマヒ、食欲の減退などの症状を伴い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)につながる恐れもある。1995年の阪神大震災や地下鉄サリン事件の際に注目され、大阪教育大付属池田小児童殺傷事件やJR福知山線脱線事故などでも問題となった。
東京消防庁は2000年にケア制度を発足させ、体験や感情を話し合うグループミーティングなどを実施。総務省消防庁では、01年の東京・歌舞伎町で死者44人を出したビル火災を機に全国の消防本部に対策を要請し、03年には精神科医らによる「緊急時メンタルサポートチーム」を創設した。
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