息子の死 むだにしないで
「県庁、ユニゾンプラザで AED設置へ」「 AED講習 市職員が使い方学ぶ」―。新聞やテレビで目を引く「 AED(自動体外式除細動器)」の文字。スポーツや事故で心臓がけいれん(細動)し、鼓動が止まったとき、心臓に電気ショックを与え、正常な心拍に戻す救命装置だ。2004年7月には、医療関係者以外の一般人の使用が認められ、全国で設置が進んでいる。 新潟市の清水克子(えつこ)さん(41)が、 AEDの普及活動に立ち上がって、間もなく1年。「普通の主婦」だった日々は、街頭で、議会で声をからし、頭を下げる毎日に変わった。きっかけは2年前の、長男志信(しのぶ)さん=当時16歳=の心臓突然死だった。「 AEDがあれば助かったかもしれない」。医師は告げた。助かる方法があったんだ―。悔やんでも悔やみきれない思いが、克子さんを突き動かす。 04年10月。穏やかな秋の日を、電話の音が切り裂いた。志信さんが通う新潟工業高からだった。「体育の柔道の時間に倒れた。意識と呼吸がなく、病院に運ばれている」。病室で目に飛び込んだのは、土気色の顔で、全身が管だらけの志信さん。「お兄ちゃん頑張って。僕もマラソン頑張るよ」。9歳年下の弟の励ましに、心電図は一時反応した。だが、徐々に脈拍は弱く小さくなり、3日後、力尽きた。死因は「心筋炎の疑い」―。持病もなく、元気だったはず。「疑い」の二文字にはどうしても、納得できなかった。 「友達みたいだった」息子の死。息をするのも、歩くのも苦しかった。人の励ましも嫌みに聞こえ、家にこもった。「生きていたってしようがない。志信のところに行きたい」。絶望し、疲れ果てていたある日、偶然インターネットで「 AED」に関するページを見つけた。 3分以内に AEDの電気ショックで救命措置できれば、社会復帰できる確率は七割。何もしなければ救命率は一分ごとに、一割ずつ低下…。 「もしかして」と、治療した医師を訪ねた。「心臓の細動や、突然の心停止は誰にでも起こり得る。予防は不可能」と話す医師は、こうも言った。「もし、3分以内に息子さんに AEDが使われていたら、助かる確率は高かったでしょう」 県内の AED設置状況を調べると、他県より遅れていた。他の県に住んでたら、志信は今も生きていたの? 誰にでも起こるならまた、悲しむ人が増えるの? 05年11月、仲間とともに「 AEDをすすめる新潟の会」を立ち上げた。 街頭署名や市、県議会への請願書提出…。その度、「署名には誰の許可がいるのか」「議員にはどうすれば会えるのか」と、手探りだった。会のホームページも作ったが、 AEDの知名度は低く、いつも最初から説明した。自分から始めたとはいえ、「しゃべれない。もう、疲れた…」。志信さんの遺影の前で思わず、弱音を吐くこともあった。 ところが、なぜか弱気になるたび、「議員さんから連絡があったり、支援者に出会えたり。志信が見ていて、つなげてくれたのかな」。不思議な縁と出会い。息子がそっと背中を押してくれた。そう、思うことにした。新潟工業高も県内の県立高校で初めて、 AEDを導入した。 県内の AEDは、05年末に53台だったのが、06年6月末で240台(県医薬国保課調べ)に増加。糸魚川市のように、市内全小中学校への設置を進める自治体も出てきた。だが克子さんは、県内すべての学校への設置を求めて7月、7230人分の署名と陳情書を県に提出した。「台数も支援者も増え、本当にありがたい」と話すが、ゴールはまだ先。これからも講演などで県内外を走り続ける。「志信がどこかで見ている」。そう信じながら。 http://www.niigata-nippo.co.jp/rensai/n22/n22_h87_k87.html
 新潟日報さんの絆というコラム(9月3日)に掲載されています。
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