急性心筋梗塞から一命を取り留められた方の思いをご本人の許可を頂き掲載させて頂きます。 私の病気の体験を書くことは、はばかられる気もしますし、書くことの意味も自分ではよくわかりません。 しかしながら、現在、自分がここにこうやって生きていること、そして自分の人生をまたやり直すためのチャンスを与えていただいたことに対して感謝するために、救命いただいた方、支えていただいた方への感謝の気持ちを忘れないために、そして救急現場にいらっしゃる方へのエールとして、また、いつか心肺蘇生法などによって初期の救命措置に携わざるを得ない機会に遭遇するかもしれないあなたのために、私の救命体験談を以下に書かせていただきます。 <初期救命措置> 私は、平成19年9月下旬に急性心筋梗塞(主幹冠動脈(第6番目)閉塞)により職場で倒れ、救急車のなかで30数分間、心肺停止状態となりました。 救急救命士(消防職員)、医師、看護スタッフ、などスタッフの方々の懸命な処置(心臓マッサージ、人工呼吸、10数回におよぶ電気ショック、冠動脈形成術(ステント挿入))によって、一命を取り留めることができました。 幸いにして、合併症や脳障害などの後遺症はありませんでした。 心筋の壊死範囲が広く、心拍力は健康な方の5分の1程度にまで下がり、まだ体の不自由はありますが、一応、フルリカバリーの状態で日常生活に復帰することができています。 心肺停止後の救命率は国内では5%(海外では15%)と低いようですが、近年の法改正で、救急救命士の方の処置範囲が広がり、また、一般人でもAED(自動体外式除細動器)を自由に扱えるようになりました。 また、AEDの各施設への配備や、心肺蘇生法の講習会の充実などによって、救命で一番重要な初期段階での救命処置がスムースに進むような環境が整いつつあります。 私を救命いただいた消防署の方の話によると、統計を取り始めた平成3年以降、心肺停止後にフルリカバリーで回復できたのは私で3人目だそうです。 しかも、3人ともフルリカバリーで回復できるようになったのは、近年の初期救急体制の充実が重要視されるようになってきてからだと言います。 消防署の方の話では、1人目は自宅で倒れた方で心肺蘇生法を中学校で学んでいた息子兄弟が兄弟交互で心肺蘇生法を施して救急隊員に引き渡すことができた例、2人目はスポーツ大会で倒れた方でちょうどそこに居合わせた医師が心肺蘇生法を施した例、そして3人目は私(救急車に乗り込んで3分後に心肺停止となり、救急救命士の方に即座に心肺蘇生法を施していただきました)だそうです。 心肺停止となった方に対しての初期の救急措置の有無がいかに生死を分けるか、また救命後の回復にもいかに大きく影響するかということを知らされます。 心肺蘇生法(日本赤十字社ホームページ) http://www.jrc.or.jp/safety/kinkyu/airway.html 2回の人工呼吸→「1分間に100回のリズム」で30回の胸骨圧迫。 以上を交互に繰り返すだけです。 さらに、近くにAEDがあれば、AEDの音声指導に従って機械を処置すれば、自動的に電流が流れ、死亡の主要原因である心室細動(リズムよく心臓を動かせない状態となる不規則な心室の動き)を取り除いてくれます。 心室細動は、AED以外では処置できません。 しかし、救急隊の方が駆けつけるまで、ねばり強く心肺蘇生法を施すことで、救命され得る可能性が格段に向上します。 私の場合は30数分間でしたが、数時間以上も心肺停止の状態であっても、心肺蘇生法によって一命を取り留めることがあるそうです。 私の入院したS病院では、毎週金曜日に、心臓疾患で入院した患者と家族向けに、心肺蘇生法でいかに救命することができるかということがわかる民放番組の録画ビデオを見てもらい、その後、実際の心肺蘇生法を実演指導されています。 「1分間に100回の速度で、連続30回の心臓マッサージを施したあと、人工呼吸を2回繰り返す、これを救急隊員の方々が駆けつけるまでに行う」ことで生存率が大きく左右されることなどが紹介されました。 併せて、AED(自動体外式除細動器)の実際の使い方まで指導がありました。 大変お恥ずかしい話、私は広義の意味で福祉を預かるような仕事をしていながら、心肺蘇生法にこれまで疎く、身近な方、愛する者を助ける術すらも知らない身でした。 しかし、いざ、目の前に倒れた方がいて心肺停止状態になったらどうしたらいいのか、初期救急の対処法について、その重要性をはっきり認識しました。 これらを実際に使う機会がないにこしたことはありませんが、いざというときのためには、あらかじめ知っておき、かつ模擬実践しておく必要があると痛感させられました。 私を救命いただいた消防署の方には、私のこの思いを手紙で、また直接お会いしてお伝えしました。 消防署の方のお話では、私の救命事例も織り交ぜて講習活動をしていただいているそうで、とても有り難いと思っています。 各地や学校などでもこのような講習会が行われているようですが、いつか、愛する方、友人、あるいは見ず知らずの方が、心肺停止状態に陥っているとき、あなたの知識と決断、救命させたいという思いが、その方の命を救うはずです。 その命を救うことができたら、この世に存在した価値は少なくとも必ずあった、と言うことができるでしょう。 自分で心肺蘇生法のおおよそのイメージを知り、頭のなかでイメージトレーニングをしておいて、決して損することはないはずです。 「ああ、心肺蘇生法を知らなければよかった」 と言う方は決していないでしょう。 私も、そのような救命措置を必要とする方が目の前に現れたとき、今度は私は救命する側に回りたいと思っています。 <私の病気の経過> そもそも私には心臓に関する既往症はなく、自分では健康体だと思っていました。 当時、ほぼ毎日6〜11kmのジョギングをし、ビリーズブートキャンプで週3回ほどトレーニングし、健康管理には気をつけていたつもりでした。 (ビリーズブートキャンプもやりすぎると危ないそうです。今では下火だとは思いますが、同様のハードトレーニングはこれからいくつも出てくるでしょう。ちなみにビリーズブートキャンプをやっている人で私が入院したS病院に運ばれてきた人は私で2人目だったそうです) 今になって反省してみると、運動量に比例した水分摂取が不足したと思います。 「水は大事」、ということは聞いてはいましたが、実行していなかったように思います。 (もしかすると予兆だったのかもしれませんが、7、8月頃から体を洗っても洗っても異臭がしていました。血液濃度が上がり、血液がどろどろの状態だったのかもしれません。今では異臭はなくなりました。) 倒れる数日前から冷や汗やちょっとした行動で息切れを起こすようになり、それでも特段気にかけることはありませんでした。 ところが、職場で前触れもなく倒れ、意識朦朧状態となりました。 同じく心臓疾患と思われる症状で愛弟を亡くしていた私のなかに、 「あのとき救急車を呼んでいれば」 という思いがあったためか、自ら「救急車を呼んで欲しい」と周囲の方にお願いして119番をダイヤルしていただきました。 その日は熊本市で過去最高の気温37度を記録した日で、熱中症などにかかった方のために救急車(その消防署には全部で2台ありました)がすべて出動されていても仕方がない日だったにもかかわらず、救急車が出払っていなかったことが一つの幸運でした。 私は、医療記録によると、救急車に乗り込んで3分後に心肺停止状態となりました。 私の入院したS病院の医師から、 「このときの救急救命措置が適切であったため、後遺症もなく無事蘇生できた、ここが生死を分ける一番重要な場面だった」 と説明を受けました。 また、10月下旬の退院の日、手術の様子がDVDに納められていてそれを見せていただきました。 ふさがっていた主幹冠動脈(第6番目)にステントと言われる金属製の人工血管を挿入すると、それが閉塞部にちょうどはまって、見事に血液が流れ始める様子を拝見させていただくことができ、高度な医療技術と造影技術にとても驚きました。 これから先は私の個人的体験談になりますが、私は、救急車のなかで、救急救命士の方の最後の声が聞こえ、「自分はもう死ぬのだ」と意識しました。 そのとき、私のなかで、長さ数センチの針のような青白い光が胸から頭の方向に数千本にもわたってヒュンヒュン飛んでいく感覚に襲われ、まるで冷たいシャワーを浴びているような心地良さでした。 同時に深い水の底に沈んでいくかのような、重力の重みを感じました。 全く痛みもなく、恐怖もなく、心は穏やかそのものでした。 そして私は、 「みんな逢えなくなるね、でもまたどこかで逢えるよね、 ありがとう、ありがとう、ありがとう」 と、感謝の祈りを自然と唱えていました。 このように助かってみると、「人間、死ぬのは怖くない、むしろ万物に感謝する瞬間である」という気がします。 また、意識を失い、麻酔から覚めるまでの14日間、長い長い夢を見ました。 私のなかでは、平成21年9月まで意識が飛んでいて、毎週、美しい花畑で過ごしたり、冷たい渓流で泳いだり、いろんなことをしていました。 そのときの思い出は、ここに書けないくらい、たくさん経験しました。 サマータイム制が導入され、裁判員制度も始まっている世界でした。 交通網も格段に発達している時代でした。 目が覚めたとき、ちょうど意識不明、昏睡時に行われていた自民党総裁選で福田康夫さんが選ばれたこと(9月下旬)もわかっていました。 また、セ・リーグで巨人が優勝していたこと(10月初旬)もわかっていました。(日本シリーズには中日が進出しましたが) 逆に人類滅亡後の世界(そんなに遠くない時代で、間接的原因は地球温暖化、直接的原因は月の異変)やら地震などの怖い夢もたくさん見ました。 意識が回復する直前に、夢のなかである方と会話したこともはっきり覚えています。 当時としては怖かったのですが、色々と不思議な体験をさせていただきました。 倒れて14日後に初めて目が覚めたときは、雷に打たれると同時にこの世に引き戻されたような凄まじい感覚に見舞われました。 そのとき、自分は正直、「産まれたのだ」と思いました。 集中治療室で担当いただいた医師の方に、現在が平成19年10月だと言われてもにわかには信じられず、自分が戻ってきた世界は別の世界ではないか、と一時混乱してしまいました。 夢で見たことが、すべてストレートではないにしろ、現実には、それに近い現象が数回起こったり(夢で見たことがテレビでそのまま放映されたり、小規模地震で済みましたが地震が起きる日を事前に当てたり、宝くじが一桁違いで当たろうとしたこと等々)して、益々怖くなったこともありました。 自分は一体どうしてしまったんだろうと、自分のことが怖くて怖くて仕方ありませんでした。 しかし、日が経つにつれて、自分の知っている世界と少しも変わらない世界に戻ってきたことを知り、みんなの名前、顔、声まではっきりと思い出せ、自分の記憶と一つとして違いのない世界に戻ってきたことを知って正気を取り戻し、安心したのでした。 私は、今回の体験をむしろ貴重なものとして捉えようと前向きな気持ちでいます。 病気になったこと、そしてまるで準備されていたかのようにセットで救命されたこと、そして退院後の経緯など、「すべては恵みである」、と考えたいと思っています。 人によっては、この病気になってしまったことを「不幸だ」、「運が悪い」という人もいます。 でも、私の尊敬するある親友は、「こんな状態にまでなってそこから生還するなんてとても運が強い」と言ってくれました。 そのような言葉を投げかけてもらったとき、思わぬ言葉だったので、とても有り難く思いました。 どちらが、より元気になれる言葉か、どちらがより相手を思いやっている言葉か、言葉はまさに人を表しているのだと思います。 (ちなみに、ですが・・・入院中のあたたかい看護職員の方々の思いやりに、医療処置以上の元気と希望が与えられた一方で、心ない言葉やぞんざいな扱いで生きる気力までも奪われてしまったような経験もしました) 10月下旬に退院後は、体力が全回復しているわけではなく、仕事で奉仕できる状態でもなく、自宅療養に専念しています。 また、自分自身の生き方を見直さなくてはならないことが宿題のようにあります。 この貴重な休職期間を「必要にして与えられた時間」として、体力、気力を充実させ、そして心の持ち方、これまでの誤った自身の考え方を見つめ直していきたいと思っています。 そして、何らかの形で社会に還元することが自分が救命されたことの意義ではないかと思っています。 私を救命いただいた多くの方々、支えていただいた方々には本当に感謝しています。 私が救命された意味は、今日の、そしてこれから毎日の人生如何にかかっていると思います。 「私一人だけ助かった命ならば、そこには何の値打ちもない、自分を知り、自分、家族、身近なところから、そして大きなことは言えないが、社会に還元してこそその値打ちがある」という思いを新たにしています。 もご覧ください。
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